羊を巡る冒険・日本における羊の歴史

羊についてよく協会で聞かれることをまとめて読み物風にしてみました。今までまとめた文章をさらにまとめ、章を分けた形です。羊の歴史や、なぜ羊肉は「臭い、安い、硬い」の十字架を今でも背負っているのかをまとめてみました。あくまで、消費者団体が資料を集め、消費者としての体験からまとめたものですので、参考程度にお読み頂ければ嬉しいです。

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1、羊をめぐる冒険・日本における羊の歴史
2、羊肉ブームの功罪
3、羊の匂い?臭い?の正体

1,日本の羊はどこから来たのか?

いつ日本と羊は出会ったか、皆さんご存知だろうか?羊は推古天皇7年(599年)に百済より2頭伝えられたという記録が最も古く、その後、江戸時代末に至るまでほぼ記録にない。あったとしても献上された数頭の記録だけで、その羊が日本に根付いたという記録も無い。1805年に長崎奉行の成瀬正定が羊を輸入、中国人の牧夫を雇い、肥前の浦上で飼育していたとの記録もあるが、失敗したそうである。

日本の気候が湿度に弱い羊の繁殖を許さなかったのかどうか、理由は定かではないが、近年に至るまで、羊というものに日本人が親しんでこなかった事だけは確かで、干支に書かれている「羊」はほとんどが山羊(ヤギ)である。これは羊を見たことがない画家が、中国の書物の「羊は山羊に似ている」という一文からそうしたとか……。

また、当時の「羊」の記録は「山羊」と言う説もあるので、なかなか一筋縄ではいかない。少なくとも、羊毛食肉に限らず、羊と日本人の出会いは、世界の歴史を見ると遅かったと言わざるを得ない。

※ 小コラム ※羊と山羊の関係 その1

羊と山羊の関係は非常に複雑で、種類によっては交配も可能とされる。色々と区別の仕方はあるが「登坂能力が強いのが山羊」という事を以前から耳にしていた。しかし、北海道帯広のボーヤファームにうかがった際、羊たちが急斜面を勢いよく一列になって登って行くのを目撃したことで、この「登坂能力の差」説が怪しくなってしまった。そして、この牧場の肉は登攀(とうはん)の所為か、肉が締まり脂肪ののりもよく、非常に美味だった事を付け加えておく。


続き・・・

羊の本格的な日本への到来は江戸時代末期までくだる。明治2年(1869年)に米国から羊毛種が輸入され、その後多くの羊が試験的に政府により輸入された。明治8年(1875年)に千葉県に下総牧羊場が設置され牧羊事業が本格化した。これらの羊は食用の肉用種ではなく、羊毛をとるための羊毛種だったが、日本の高温多湿の気候に耐えられず、羊の牧畜はほとんどの地域で根付くことはなく、その姿を消していったようだ。

小石川薬草園、下総牧羊場など関東周辺でも飼われていたが、頭数が劇的に増えることはなかった。やはり、気候の影響が大きいと考えられる。肥育技術の問題などもあり、飼育頭数は減り続け、明治末には飼育を中止せざるを得なかった。

北海道では、明治8年(1875年)にアメリカ人のエドウイン・ダンが100頭のサウスダウン種の羊を持ち込み、飼育を開始したが、羊肉を食べる文化がなかったためか肉用種のサウスダウンは受け入れられず、この事業は失敗となった。その後、日本では毛を取るための羊毛種が中心に飼育されるようになる。

北海道を中心に羊が大規模に飼われ始めたが、これは軍需物資としての羊毛利用が目的であった。大正7年(1918年)、政府の主導で羊の飼育頭数を増やすために「綿羊百万頭計画」なる国策事業が展開され、国をあげての羊増産運動が昭和30年代まで続く事となる。ただし、昭和20年(1945年)になっても18万頭までしか頭数は伸びず、爆発的に増頭するのは戦後のこととなる。

2食肉としての羊の歴史

並行して、羊肉を食肉として普及させようとする動きもあったが、廃羊(羊毛を繰り返しとり、最終的に屠畜に回される羊)利用として高齢のマトンを食用としたので味にクセが強く、なかなか日本人の口になじむことはなかった。そこで誕生したのがくさみを抑えるために羊肉をタレにつけるジンギスカンだ。これを受け、日本の羊肉料理の主流はジンギスカンが占めることとなる。また大正時代に日比谷公園で、内務省主導で羊の食べ方を展示する博覧会があったという記録もある。個人的に羊フェスタのはしりはこの会とも言えるのではないだろうか。

余談だが、文人の直木三十五が同好の士を集めて、ジンギスカンを食べる会を開催した事例が久保田万太郎全集に見られたり、昭和10年代に杉並区にジンギス荘と言うジンギスカン料理店があったという記録があったり、北杜夫の一族の物語を小説化した「楡家の人々」の中にも、中華料理店でジンギスカン料理を食べる描写があったりと首都圏でも一部で羊は食べられていた。ただしそれはあくまでも「珍味」として、であり、羊肉が普及するのはさらにあとの話となる。さらに、ここで言うジンギスカンは中華料理の「烤羊肉:カオヤンロウ(羊のタレ漬け焼肉)」の事で、現在の形とは違う事に注意が必要だ。このカオヤンロウのことをジンギスカンと呼んだのは、関東軍の顧問の駒井徳三との話もある。そもそもジンギスカンは、かの有名なジンギス・ハーンやモンゴルとは無関係、当地にはこのような料理もないと聞く。

一般的に羊肉が食べられるようになったのは昭和30年代の北海道である。もともと、各家庭で自家製のジンギスカンタレを作り羊肉も食べられていたが、北海道の「ベル食品」や「ソラチ」などが家庭用のジンギスカンのタレなどを開発・販売し出した事が、更なる一般化のきっかけだ。

ジンギスカンの歴史に少し触れると、実はジンギスカンは新しい食べ物で、現在の形のジンギスカンの生みの親は北海道庁滝川種羊場長の山田喜平と言われる。彼は昭和11年(1936年)に札幌の狸小路でその考案したジンギスカンを提供していた。昭和30年代では、北海道では知らない人のほうが多い料理だったのだとか。
戦後も羊毛の需要は高く、飼養頭数は昭和32年(1957年)には94万頭まで激増する。(現在(約17千頭)の90倍!)しかし、昭和34年(1959年)に羊肉、37年(1962年)に羊毛の輸入が自由化を受けて、競争力の劣る国産羊の飼育頭数は激減してしまい、現在に至る。羊毛需要が減ったため加工肉の材料やジンギスカン用として食用に回された結果、国産の羊が大幅に減ってしまった。さらに海外からの羊毛の輸入が盛んになると、競争力が劣る日本産羊毛は海外産に取って代わられ、食肉のための飼育へ大きく舵を切ることとなる。

コラム「タレ漬け派」と「生ラム派」の2大系統があるジンギスカン

長距離輸送のため日持ちさせるべく先に肉をタレに漬け込む「タレ漬け派」と、牧場の近くなど消費地が近距離にある場合は焼いたあとにタレをつける「生ラム派」の2系統がジンギスカンにはある。大まかに道東地域がタレ漬け、道南地域は生ラムとされる。これは一説に、近くにあった種羊場(農業試験場、ここからも羊肉が提供されていた?)によるという一説も。道東の滝川種羊場の付近ではタレ漬け派、札幌(道南)の月寒(つきさっぷ)種羊場の付近は生ラム派である。ちなみにタレ漬けで有名な松尾ジンギスカン(昭和31年(1956年)創業)は滝川の近くに店舗を構えていたとか。

※ ジンギスカンの初期はこんな感じ

淳文書院が昭和9年に発行した「緬羊と其の飼い方」では、薄切りの羊肉を、醤油、酒、葱、砂糖、ゴマ、唐辛子、生姜に漬け、網で焼いて食べるという記述があり、昔はあの独特の鉄鍋は使っていなかったようだ。
・食肉羊肉の歴史

1922年 帝国政府が羊肉を扱う業者に補助金を交付
1928年頃 農林省主導で、全国で羊肉料理の教室が開かれる
1957年 加工原料として年間10万等の羊の需要があった。
1960年 ジンギスカンとしての食肉の利用が始まる。
1960年 国産羊生産量2712トンを記録。

その後、生産低迷する

次回「羊肉ブームの功罪」に続く・・・・

・写真提供・MLA豪州食肉家畜生産者事業団

 

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